【歌詞ばなし】「Hello, Again」in平安時代

diary

MY LITTLE LOVER「Hello, Again ~昔からある場所~」

20歳を前にしてこの曲を歌うことになった時からずっと、歌詞の解釈に悩んできた。

まあ意味不明。
というか、歌詞が幅を持たせすぎており、いまいちイメージが曖昧になってしまう。
ある人は失恋ソングだというし、ある人は幼馴染との別れを歌っているという。

作った人は少年性をテーマにしていて、「可能性」と「限界」を一緒に盛り込んだ応援ソングと思っているらしいけども。

私は歌うときに自分の体験や状況を思い起こしたり、物語の登場人物になりきったりすると表現力がグッと増すようだ。なので、この曲でも何かなぞらえるモチーフがないかと探していたが、しっくりくるものがあんまりなかった。

そのグループの活動期間の後半は「この曲を歌わせてくれた人へ捧げます」みたいな感じで歌っていたものの、やはりそれでは暗すぎるのだ。

悩みすぎて、大学の講義のレポートでまでこの歌詞の解釈を取り上げてみたことがある。

そもそも難しいので歌い方にも悩んでいたし、
生まれた年に発売されたこともあって、かなり思い入れが強い曲となった。

思い入れまくりすぎて、大学を出てからは少し熱が冷めていた。

ところが今日ふと、この曲を思い出してみたところ。
ぴったりなキャラクター、そして「関係性」が存在するではないか。

氷室冴子さんのシリーズ小説「なんて素敵にジャパネスク」の主人公・瑠璃姫と、
その幼馴染みで今は唯恵と名乗る僧・吉野君(よしののきみ)。

吉野の地で幼少期を共に過ごした彼らは生き別れ、
大人になった2人が再会したのは京の都、
それも吉野君が放火し全焼した瑠璃姫の邸跡。

人殺しを繰り返した末に謀反僧として捕らえられた彼を、
瑠璃姫は決死の覚悟で救い出そうとする…という、
何ともハードボイルドなエピソード。

詳細は小説2巻かコミックス6巻を読んでいただくとして。

思いついた瞬間、じわっと目が熱くなった。
とはいえそれは、2人にあまりにもぴったりだったからということではない。
むしろ2番なんか、「本当にあの吉野君がこんな風に考えて生きてくれるんかいな~?」と思ってしまうような明るさである。

しかし。瑠璃姫はそういう人間なのだ。
死ぬ気満々で寺に火までつけた吉野君に「逃げてみます」と言わせた姫だ。
だから泣けるんである。

あの後、吉野君がどうなったかは全く誰も知らない。
焼死体こそ見つからなかったものの、死んだのだろうという人は多いし、
現実的に考えれば深い太刀傷を負ったまま火事騒ぎの大混乱の中を逃げ出し、
検非違使(今でいう警察)の追跡を完全に撒くなんて不可能に近い。

そんなことは、高彬でなくたってわかる。

でも、ここまでして瑠璃に執着した吉野君が、
彼女からの「生きて」という願いを無下にはしないだろう。
いや、絶対にないはず。

見事に生き延びていたらいい、でもやっぱりダメだったとしても、一瞬だけでも生きる決心をしたはず。

何故なら、吉野君は「心ある人」だったから。
2人は吉野での美しい思い出を支えにこれまで生きてきたし、
また離れ離れになっても、そうやってお互いを思って生きていけるから…。

そう考えただけでもうね、切なさが溢れますね。

何とか、生きててほしいけどな。氷室先生も遠いところへ行ってしまわれたな。

この2人のポイントは「恋愛関係じゃない」ところ。
お互いが初恋の相手ではあるし、特に吉野君は一途もいいとこって感じだけど、
いわゆる性愛とは少し違う、子どもならではの純粋な「好き」という気持ち。
この曲が持つ、子どもと大人の狭間で揉まれるような
ピュアだけど苦しい雰囲気にも合う気がする。

「ジャパネスクが好き!」としばしば騒いでいたくせに
何故これまで気付かなかったのか、私はちょっとアホかもしれない。
また新しい曲の楽しみ方を発見してしまった。

実際の2人は、少しどころではなく泣いてたけれども、
「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」
だから大丈夫だと、心に言い聞かせて。

聴きながら目を閉じると、闇に燃え上がる炎や吉野の雪原がまぶたに浮かんでくるようだ。
アウトロのメロディが切ない気持ちを加速させる。
よし、感傷的になりたい時にはこれでいこう。

それにつけても、ああ…高彬の不憫さよ…(笑)。