コミュニケーション

diary

社会人になるまで、相手を「いじる」以外の他人と交流する方法を知らなかった。
私はそういう意味でコミュニケーションに難がある。

大学を卒業した後に知り合った人々の中には、相手をただ肯定し尊重するという付き合い方をしている人が何人かいた。そんなコミュニティがあるということはそれまで知らなかった。

他者と仲良くするには、相手からのいじりを受け入れつつ程よく嫌がり、そして適度に自虐する必要があると信じ切っていた。

それさえも大して上手くはできていなかった私のことを、不快に思っていた人は幾人もいるだろう。ありがたいことに、その内のひとりが指摘してくれて、それで自分の誤解に気付くことができた。

あんな面倒なスキルを身につける必要はなかったのだ。
それは私にとって本当に救いだった。

相手を肯定する、尊重する。
ただそれだけ。
とはいえ簡単なことではない。20年も違うやり方を試し続けていたのだ。
自分から言葉を発するのがそれほど得意ではないので、何を言えば相手に肯定していることを伝えられるのかも分からない。
そしてすぐに他者を品定めしようとしてしまう癖があって治らない。
あと笑顔。とりあえずにっこりするのが大事らしいが、私の十八番はむしろ仏頂面である。

少し話を戻そう。
いじり。
こんなに長いことそれがコミュニケーションの鉄則だと思い込んでいたということは、それだけ身の回りに溢れていたというわけだ。
実際、家でも学校でもTVでもいじりはポピュラーな手法だった。というかTVで当たり前に行われているから、それで笑いを取ろうとしているから、みんな真似しているのだと思う。
それに気付いてからTV番組、特にバラエティ番組は観られなくなった。
偶然目にしても全然面白いと思えない。

とある失敗を気に病んでいたら仲間にいじってもらえたので少し気が紛れた、そんな経験をしたことがある人は少なくないと思う。
そういういじりだけは存在する価値がある。
しかし、外見や苦手なこと、その他弱点を指摘され笑われるというのは本来あまりいい体験ではないはずだ。

私は目の前のことを素直に信じてしまう。
すぐに影響されてしまう。
いじりのこともそうだが、SNSなどで「他者の外見について言及するのはやめるべき」という意見が増えてきたのを見て、その通りだと思ったので、最近はそういった言動を控えるようにしている。少なくとも、いじることは絶対にしないようにしている。そう努力はしている。
だって、その方がきっと皆気持ちがいいはずだから。

例え流行りからの影響だとしても、この感覚は間違っていない。
私は、もっともっと優しい世の中を望む。
皆が、文字通り皆が、優しい気持ちになれる世の中になってほしい。